某日とあるXのポストに返信をしました。それに対して無反応であったことには特に何も思っていません。ただし、別の返信者がChatGPTを使っていて,しかもその出力内容が間違っていたのです。それにも関わらず,返信元のポストをした人間は、碌に吟味もせずに、「分かりやすい。有能」の一言で鵜呑みにしていることに驚きとショックを隠せませんでした。その人は数学的な理由を求めていたのに?なぜChatGPTの出力内容の間違いに気付けない?ChatGPTは大量のデータを読み込んで、それっぽいことを言うだけのシステムですよ?専門的な分野では結構な頻度で誤った情報が出力されます。
数学者岡潔はエッセイの中で、今の教育のままでは「日本的情緒が壊れる」「自分の頭で考えられなくなる」「分かっているかどうかさえ判断できない人が増える」といった趣旨の内容の警鐘を何度も鳴らされてきましたが、いよいよ末期になってきたという世相です。ちなみに岡潔氏が警鐘を鳴らし始めたのは1960年代の話です。現代でも問題は全く変わっていません。心配すべきことも変わっていません。人間は何の成長も遂げずに約60年を過ごしました。意味もわからずに科学技術だけを発展させながら。
先日も精神科医から、とある専門的な内容について「ChatGPTにきいてみたら?」と提案され、愕然としました。繰り返しになりますが、ChatGPTの出力は統計的な文字の羅列です。それをあまりにも過信しすぎではないでしょうか。もはや、自分の頭で考えたこと、自分の頭で考える人の言うことよりも、システムが捻り出した文字の羅列の方が信用される時代のようです。
岡潔先生、世の中はこんなにもおかしくなりました。
「考える」の意味さえ分からない世界となりました。
教育の結果はこのような有様となりました。
正直なところ、初学者向けの高校数学のページを書き上げるモチベーションも下がっています。考えることができない人たちに向けて、何ができるのでしょうか。懸命に工夫を凝らして、教育や未来のことを考えながら書く文章に、いったい何の意味があるのでしょうか。それっぽいインスタントな情報に、需要が偏っているのですから(大学入試予備校が流行り出した頃からそうでしたが)。しっかりした文章に何の意味があるのでしょうか。
それでも、私のWebサイトを訪れる人間の100人に1人くらいはまともな人間であることを信じて、そのことを原動力に書き上げるつもりです。(それに加えて、私の脳みそがまともであることも信じねばなりませんし、これからも研鑽を積む必要があることは言うまでもありません)